4月に国際学部国際文化学科に着任した。非常勤講師や事務職など何足ものワラジを履いてきた私にとって初めての専任教員生活である。個室の研究室をはじめ、その環境に感動した。子育て中の私には労働時間がフレックスである点もありがたい。
一方で、非常勤講師との格差に複雑な気持ちにもなった。今や大学教育は非常勤講師に「依存」しているが、非常勤講師の労働環境は過酷だ。授業の準備や出欠の入力など、時給が発生している以上の時間を使う。私が出産した前後に、勤務先で非常勤講師の育児休業が認められるようになったが、先輩たちからは、出産ギリギリまで授業をし、産院で採点をしたという話を聞いていた。こうした環境で研究の時間を確保するのは困難だ。
昨今、ケアや依存に関する議論がジェンダー論や社会学界隈で活発だ。その契機を作った哲学者のエヴァ・キテイは、ケアや依存をめぐる議論と正義論を接続させた。これまで多くの理論は自立した個人を前提にしていた。しかし、実際には人は乳幼児期や高齢期など誰かの助けが必要な状態=依存状態を必ず経験する。また、ケアの担い手も依存状態に陥りがちだ。新生児の世話をする母親を考えよう。母親は賃労働ができないし、サポートがなければゆっくり食事をとることもままならない。キテイはケアの担い手のケアについても社会で考えていくべきだと主張した。
大学は専任教員だけでなく非常勤講師、事務職員などによって成り立っている。その中には、子どもの世話や親の介護などケアの担い手もいる。落ち着いて研究や教育のことを考えるのに、環境が重要だと実感している今だからこそ、着任した時に感じた引っ掛かりを忘れずに考え続けたい。
玉城 福子(国際学部 国際文化学科 准教授) 【人物紹介】 |