私の専門分野は日本語学です。このように言うと「正しい日本語を使いこなせる人だ」と思うかもしれません。しかし、私自身の言葉を観察してみると「食べれる?食べれない?」のような語を連発しており「いわゆる正しい日本語」からは遠ざかった言葉遣いをしています。がっかりさせてしまい、本当にごめんなさい。日本語学・言語学の中でも私の専門とする記述言語学という分野は、現在の(あるいは過去のある時点の)言葉の姿がどのようなものか観察し、記述する学問です。ですので、ひとまず「日本語学=正しい日本語を扱う」という図式は葬り去ってください。
このような職業柄、私は皆さんの話を聞きながら、しばしば言葉の観察を行っています。身近な例として、ら抜き言葉を取り上げます。「食べれる」「来れる」は皆さんの間でもかなりの頻度で使用されていて、もはや何がおかしいのか疑問に思う人もいるかもしれません。一方、最近「考えれる」という形を聞きました。動詞を言い切る前に少しだけ間があったような気がします。言った本人が少し躊躇するくらいですから、おそらく読者の皆さんも改めて聞くと(見ると)違和感があるかもしれません。でも実際使用されています。この時の私は、内容そっちのけで「あ、今、考えれるって言った!」と内心ワクワクしています。「考えれる」という形を聞いて「やーい、間違ってやんの」とは全く思いません。どちらかというと「つ、ついに考えれるの時代が来たか...」と思っています。どのような動詞がら抜きとして使用されているのか、ら抜きとして使用される動詞に傾向はあるのか、このような点に興味があります。
ら抜き言葉のように、研究対象は皆さんの周りに沢山転がっています。もし不思議だなと思う言葉の現象を見つけたら、研究対象にしてしまいましょう。
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麻生 玲子(国際学群 国際文化教育研究学系 准教授) 【研究キーワード】 |