高齢者のケアを"日常倫理"を通して見ること
新城 慈(人間健康学部看護学科 助教)
買い物や、窓口で並んだ人の顔ぶれを見て、「中高年が多くなったなぁ」と高齢社会を肌で感じることがあります。私たちは、3人に1人が高齢者の時代へ、着実に進んでいます。高齢者が、「年をとるのは悪くない」と感じられる、地域や環境はどのように作れば良いのか、高齢者とどのように付き合うことが正しいのか、分からないことだらけだと思いませんか。
私は、「日常倫理」について研究活動を行っています。臓器移植や尊厳死など、「生命倫理」と違い、あまり聞きなれない言葉だと思います。日常倫理とは、高齢者の生活の中のありふれた日常に起こる、倫理的な葛藤に焦点をあてるという考え方です。例えば、朝起きてデイケアに行くか、休むかを決めるのは、本人のはずですが、実際はそうでない現状があります。周りの人間は、高齢者のために「良かれ」と思ってやっているため、高齢者が自分で選択したり、管理する権利を奪っていることに気づきにくいものです。
これは、看護師が専門職として、高齢者のケアにあたる場合でも同じことが言えるようです。誰にでも、年齢を重ねた最期のとき、誰かの手に自分の生活をゆだねる日が来ます。そして、病院や福祉施設などでの生活も十分に起こり得ることです。何十年もの間、「大人」として自分を操縦してきた人達から、こちらの都合で、そのハンドルを奪うことがないようにしたいと思っています。看護師たちが、見ている現象に対する自分の考え方や感覚が、「真実か?」と疑って、立ち止まって考え、同僚と話し合い、困難な状況に工夫が生まれるような環境になったら・・、と夢を膨らませながら研究に向き合っています。
皆さんも、自分が誰かの世話になる日が来た時のことを想像してみてください。その時にどんなことを真っ先に望みますか。自分の生活を自分でコントロールできることではないでしょうか。
人物紹介 静岡県出身です。沖縄好きが高じて沖縄に移住し、今ではウチナンチュとして溶け込めていると自負しております(笑)。名桜大学大学院看護学研究科を2018年に修了し、現在は基礎看護領域で、看護技術の楽しさと奥深さを伝えたいと修行中です。最近、三線を引くことに、はまっております。 |