文化の呪縛
李 鎭榮(国際学群 国際文化教育研究学系 教授)
小さい頃から何故か「社会の医者になろう」と決意(?)したのが、この歳になっても一向に衰えません。むしろ臥薪嘗胆、時たま壁にぶつかりながらも意志がより強くなっている感じがします。 特定の体質(環境)の人間に発症しやすい病気があるように、病症も個人(社会)ごとにパターン化されることが多々あります。このように特定の文化でしか発症しない病気を「文化病」と称します。身近な例としては、韓国の「怒り病」、日本の「対人恐怖症」や「肩こり」などが典型的な例といえるでしょう。 すべての人間は「文化の呪縛」から逃れることはできません。また、病症は社会的にパターン化(構造化)されるので社会・文化構造に関する深い理解が欠かせません。万人は「主体的に行動している」ようで、実は「文化の呪縛」の範囲内でしか行動できないのです。中国人と韓国人は派手に口喧嘩をしますが、イヌイットは歌合戦で喧嘩をします。なぜかって?怒っているからです。日本人は時たま笑みを浮かべながら我慢の限界まで必至に平然を装います。なぜかって?怒っているからです。要するに、「文化の呪縛の実践」なのです。
このような社会病理現象を発生させるメカニズムの奥の奥に実は「言葉」があり、言葉の研究を通して、様々な問題の本質に近づくことが私の研究テーマです。個々人は自由に会話しているようで、実は無意識においては文法に拘束されているのと同様に、個々人の行動にも「行動の文法」があるのです。文化病とはまさに「構造化された社会的無意識」の表象なのです。
フロイトは「無意識も意識」といいましたが、無意識は言葉の分類により蓄積され、文化により形作られ、我々の営みの隅々に影響してきます。もちろん病理現象も構造化されるわけですが、構造化現象を生む社会構造の理解なしに「病原を取り除く」ことはできないのです。フロイトがいうように、「人間は自分の精神の持ち主ではない」のです。最近よく耳にする「リベラール・シンキング」は文化の呪縛の自覚なしには実現不可能なのです。
李 鎭榮(リ チンヨン) (国際学群 国際文化教育研究学系 教授) 東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学(文化人類学)研究論文:「華僑の<クワンシ>と社団の再生過程」、「韓国の華僑の<韓国経験>」、「族譜と歴史認識-ベトナムと韓国」 中華の周辺社会(ベトナム・沖縄日本・韓国)を結んだインターローカルな研究をしています。講義では構造主義と記号学中心に教えており、人間と社会の病理現象に関心があります。 |