日本最南端の領主、種子島氏
屋良健一郎(国際学群 国際文化教育研究学系 准教授)
私の専門は日本史で、特に戦国時代の南九州を研究対象にしています。16世紀の南九州では、勢力拡大を目指す島津氏とこれに抵抗する領主たちとの戦いが展開されていました。南九州の領主たちの中で私が特に魅了され、主に研究しているのが種子島氏という一族です。種子島氏は、種子島という鹿児島県の離島(鉄砲伝来の地として有名)やその周辺の島々を統治していた領主です。当時は奄美諸島まで琉球王国が支配していましたから、種子島氏は琉球と支配領域を接する「日本最南端の領主」と言ってもいいでしょう。
「最南端」と言うと、中央から遠く離れた辺鄙なイメージがありますが、どうもそうではなかったようです。種子島家の人々はしばしば当時の首都であった京都を訪れ、貴族たちと蹴鞠を楽しんでいましたし、京都や大阪の文化人が種子島を訪れることも珍しいことではありませんでした。さらに、有力大名たちも種子島に使者を派遣して、種子島氏と交流を深めていました。このように見ると、種子島と中央との距離は意外と近いようにも思います。種子島氏が中央の人々から注目されていたのはなぜでしょうか。
種子島氏の支配していた地域は日本の南端だったわけですが、逆に言うと、南からやってくる外国船にとっては、日本の入口でした。種子島氏は外国船と接触する機会に恵まれており、海外の珍しい品物を多く所有していたと考えられます。そのような魅力を生かして、種子島氏は中央との距離を縮めることに成功したのでしょう。
私は種子島に何度も通い、種子島氏の子孫や地元の研究者、博物館のご協力を得て、古文書の調査を進めています。訪れる度に新たな発見があり、種子島の歴史の奥深さに魅了されています。
2014年8月
古文書調査に訪れる種子島開発総合センター(鉄砲館)
屋良健一郎 (国際学群 国際文化教育研究学系 准教授) 沖縄市出身。専門は日本史だが、短歌の研究・創作も行っている。大学生の頃に作った短歌を3首。〈水曜の2限「おはよう」金曜の5限「ばいばい」きみに会いたい〉〈渡辺美里流してふたりビーチへと後部座席に光を乗せて〉〈太陽が肌にのりづけしたシャツをはがせば夏は始まっている〉 |