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【スポ健 COLUMN】第9号『ファンの在り方(1)』

掲載日:2018年2月26日スポ健コラム

 平昌(ピョンチャン)オリンピック競技大会が閉会しました。アスリートだけでなく、極寒の中、大会運営に携わったオリンピック関係者に敬意を表します。本大会は、連日メディアで取り上げられたように、オリンピックが政治のショーと化しました。「平壌(ピョンヤン)オリンピック」とも揶揄されましたが、オリンピックの序盤はダウンタウンの松本人志氏が呼称したように「ムンちゃん(文大統領による)オリンピック」の様相を呈したと言えるでしょう。

 しかしながら、スポーツ哲学者の関根正美氏が指摘するように、現代オリンピックは一種の政治とも言えます。莫大な人的、物的資源が投入され、国家の名誉や経済に大きな影響を与えるオリンピックは、政治と無関係ではいられません。2年後の東京オリンピックも同様です。ただし、アイスホッケー女子における南北合同チームのような政治の介入については、首肯出来るものではありません。日本も含めて、今後のオリンピック開催国の政治家や関係者の方々には、平昌オリンピックにおける政治の介入を他山の石とすることを願っています。

 平昌オリンピックの各競技では、日本の選手のみならず、各国のアスリート達により卓抜したパフォーマンスが展開されました。種目は違えど三流アスリートであった私にとっては、メダリストに限らずオリンピアンの技や体力、さらには精神力に驚嘆の連続でした。そんなオリンピアン達は、試合において満足のいく結果であろうとなかろうと、試合後には、自分を支えてくれた多くの方への感謝を述べます。多くの方の支えがなければ、ここまでこれなかったと。支えてくれた多くの方の中には、家族やチームメイト、さらにはコーチといったより身近に自分を支えてくれた人達だけでなく、ファン(観客)もいます。本号、次号、次々号では、ファンの在り方について述べていきます。

 平昌オリンピックのテレビ中継では、試合会場での空席をよく目にしました。寒さや高額のチケットの問題が指摘されていましたが、いずれにしろ、そのような状況の中で応援に駆けつけたファン(観客)による声援は、アスリートの大きな力となったでしょう。スポーツ、とりわけ、プロスポーツの世界では、ファンはなくてはならない存在です。アスリートやスポーツ団体が批判の対象となるケースにおいては、論拠としてファンの存在があげられる機会が多いと言えます。今日では「ファンを裏切る行為」、「ファンを置き去り」といった言説が流布しています。「ファン(の声)=善」、といった意識がスポーツ界だけでなく、マスコミにおいても支配的であると感じさせられます。

 しかしながら、もちろんすべてのファンの言動が善いものではありません。海外のスポーツの歴史だけでなく、日本のスポーツの歴史においても、ファンが暴走するケースは枚挙に暇がありません。声援するチームが敗北したケースだけでなく、勝利したケースにおいても、異常な興奮状態に陥って暴徒化するケースがあります。傷害、罵声、器物破損といった行為にでるファンに対しては、当然のことながら、スポーツ界のみならず世間からも厳しい制裁や非難がなされます。次号と次々号では、このような明白に許容されないファンの言動ではなく、倫理的に問題を孕みつつも、許容される傾向にあるブーイングについて掘り下げていきたいと思います。

スポーツ健康学科 大峰 光博

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