本号では、前号に引き続き、スポーツと体罰の問題について述べたいと思います。前号では、体罰に対して肯定的な考えを持っている指導者と生徒の存在についてふれました。この点は、種々の調査によって明らかになっています。2013年に日本高等学校野球連盟は、全国の4032の加盟校を対象に体罰についてのアンケート調査を行い、3605校(89.4%)が「絶対にすべきでない」という結果が出た一方で、「指導する上で必要」と答えた学校が393校(9.7%)であった結果を発表しました。また、全国大学体育連合は、13大学・2短期大学に在学する3957名の学生を対象に、運動部活動における体罰・暴力に関するアンケート調査を行いました。質問の中には、「体罰を受けたその後どうなったか」という項目があり、複数回答でしたが、「精神的に強くなった」と回答した割合が58.4%、「技術が向上した」と回答した割合が22.5%、「指導者の気持ちがわかった」と回答した割合が19.8%、「試合に勝てるようになった」と回答した割合が10.7%であり、肯定的な意見が一定数存在しました。「運動部活動中の体罰・暴力の必要有無」という質問項目に対しては、「必要だとは思わない」と回答した割合が57.3%であったのに対し、「必要な場合がある」と回答した割合は40.9%でした。これらの結果は、そもそも体罰とは何かをわかっておらず、「有形力の行使(目に見える物理的な力)=体罰」とイメージしている点も影響している可能性があります。各人の体罰への捉え方が異なれば、体罰に対する見解も異なってきます。
文部科学省によって示された体罰の定義では、試合中に相手チームの選手とトラブルになり、殴りかかろうとする生徒を、押さえつけて制止させる行為は体罰には該当しません。また、教員の指導に反抗して教員の足を蹴った児童に対して、児童の体をきつく押さえる行為も体罰には該当しません。防衛のための有形力の行使は、体罰には該当しません。これらの行為を体罰と認識することによって、体罰は時に必要な場合があると考える人もいるのかもしれません。
一方で、上記の調査は、桜宮高校のバスケットボール部の生徒が顧問の体罰を機に、自殺をした事件の後に行われています。体罰の概念に対する捉え方が文部科学省の定義とは異なっていたとしても、40%以上の学生が体罰を「必要な場合がある」と回答することは多いと言わざるをえません。なぜ、これほど体罰に対して肯定的な意見が多いのでしょうか?これまでの研究では、生徒達が自身の学校の記憶や体験を美化・正当化したいという心理が働く点、生徒達が指導者による体罰を指導の一環として理解している点、さらには、罰としてのトレーニングと体罰との境界が曖昧な点などが指摘されています。
スポーツにおける体罰の問題から目を背けることは、本学科の目的である、「健康支援人材」養成の放棄と言えます。体罰にたよらず、選手のパフォーマンスを最大限に引き出す指導を可能とするカリキュラムを、スポーツ健康学科では採用しています。
スポーツ健康学科 大峰 光博