関係者一同で記念写真 |
報告を受けた山里学長は「海外出身のウチナーンチュならではの素晴らしい発想です。国内外にいる200万人のウチナーンチュが一緒に祝う日を制定することで、皆の心や絆が一つになり、ウチナーンチュとしての求心力が生まれてくると思います」と二人の功績を讃えました。住江副学長は「お二人が本学へ入学し、ここで学んでくれて、このようなイベントを企画・発信してくれたことに本学として大変喜ばしい限りです」と謝意を表しました。
インタビュー: 比嘉アンドレスさん/伊佐正アンドレスさん
きっかけ
沖縄のカレンダーを見ると「慰霊の日」や「本土復帰の日」がありますが、これらの記念日は戦争を背景としたもので、その日に対する思いは人それぞれ異なり、万人一致で喜ばしい日であるとは言えません。また、ウチナーンチュには、「イチャリバチョーデー」、「チムグクル」、「ユイマール」など世界に誇れる、決して途絶えさせてはいけない素敵なウチナー文化があります。そして、その文化を継承している世界のウチナーンチュもいます。そこで私たちは、母国ウチナーと海外の約40万人のウチナーンチュが「ウチナーンチュ」であることを誇れる日、そして我々の心を一つにする日として、「世界ウチナーンチュの日」を制定したいと考えました。
期日の選定
期日の提案としては、今年の「第6回世界のウチナーンチュ大会」が10月26~30日の日程で開催されることから、世界各国からの参加者が一堂に会する閉会式・グランドフィナーレに合わせて、「10月30日」が良いのではないかと考えていました。
その理由として、まずこの「世界のウチナーンチュ大会」が第6回目を迎えられるのは決して容易なものではないからです。その背景には、最初に海外へ移民して厳しい生活を乗り越えてから、現在に至るまでに形成されたウチナーンチュ社会、さらに第1回から今年で第6回目となるこの大会を支えてきたすべてのウチナーンチュの努力とチムグクルがあります。これらすべてのウチナーンチュへの感謝と敬意を表し、この日を一つの節目として、より多くの方々と称え合い祝福したいと考えています。また、「世界ウチナーンチュの日」の期日は特定の移民国の歴史に基づくのではなく、中立的な日にした方が受け入れやすくなると思われます。
制定までの道のり
今年の3月下旬に稲嶺進名護市長と名護市議会へ意見書を可決するよう陳情しました。その後は、5月の名護市の臨時議会で陳情が採択、それから名護市議会経由で県議会へ要請・議決されました。当初は数年かかると思っていましたが、わずか3ヵ月で決まってとても驚きました。制定に関わって奔走していただいた関係者の皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
目標・目的・将来
「世界のウチナーンチュの日」を制定することによって、沖縄と海外にいるウチナーンチュの絆を深め、失われつつある「ウチナーンチュ」としてのアイデンティティを強化して、次世代に沖縄の文化や価値観を継承することができると考えます。また、21世紀の沖縄国際社会の経済や教育などの発展の基盤となり、今後の世界中のウチナーンチュの様々な課題や問題の改善・解決に繋がるものと確信しております。そして、「世界のウチナーンチュの日」の制定を機に、これからも沖縄と海外のウチナーンチュのネットワークをさらに強化させ、お互いの存在を大切にしてほしいと強く念願します。
「ゆんたくさびら世界のウチナーンチュ(県人会長・ウチナー民間大使会議)」
(10月28日金曜日、沖縄県市町村自治会館開会議にて「世界のウチナーンチュの日」の制定案が承認されました)
に出席した比嘉アンドレスさん(左)と伊佐正アンドレスさん(右)
(10月28日金曜日、沖縄県市町村自治会館開会議にて「世界のウチナーンチュの日」の制定案が承認されました)
に出席した比嘉アンドレスさん(左)と伊佐正アンドレスさん(右)
平成28年10月30日(日)、第6回世界のウチナーンチュ大会の閉会式とグランドフィナーレが那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で開催されました。閉会式に参加した比嘉アンドレスさんと比嘉正アンドレスさんは、「我々は互いを許し合う寛容な心を持っている」「我々は出会った人を愛する心を持っている」と聴衆に向けて力強く宣言文を読み上げました。続いて、大会実行委員長の翁長雄志知事より「10月30日を世界のウチナーンチュの日に制定する」と宣言されました。