昨今、プロ野球における野球賭博、選手間での現金授受、さらには、元選手の覚せい剤の使用問題が、大きく報道されました。報道においては、グラウンド外での問題が取りあげられる機会が多いですが、グラウンド内においても、プロ野球では問題視される事例が数多く存在します。選手同士の乱闘、監督やコーチによる審判員への暴行、さらには、故意に死球を与える報復死球といった事例があげられます。
人を殴ったり蹴ったりする行為は、日常生活の倫理では許容されません。しかしながら興味深いことに、上記の暴力的な事例に対しては、野球関係者ではない人達からも大目に見られる傾向があります。バラエティー番組では、プロ野球の乱闘が取り上げられる機会があります。骨折や打撲を負う乱闘であっても、面白おかしく放送されます。現在にわたっても、プロ野球における乱闘がバラエティー番組で繰り返し放送されているのは、私達がその映像を見ても不快に思わず、楽しんでいることを示しています。私自身も幼少の頃から、乱闘を扱うバラエティー番組を楽しみにしていました。
野球だけを槍玉にあげるのはフェアではないでしょう。野球に限らず、スポーツにおいては、日常生活を送る上で非倫理的であるとされる行為が許容されることがあります。ボクシングに求められる、対戦相手を打撃によって倒すという行為は、日常生活では許されていません。しかしながら、ボクシングを含む格闘技は、ルールの中で対戦相手に打撃を加える行為が認められています。野球規則の中では、乱闘や報復死球は認められていません。
野球の試合における暴力に肯定的な態度を示す私達は異常なのでしょうか?しかしながら、この点は日本人に限った話ではありません。アメリカは日本より、野球の暴力に対して寛容な国です。その点を示す裁判事例があります。2006年に、カリフォルニア最高裁において、報復死球の慣習を事実上認める判決が出されました。この判決は、対戦相手からの報復死球を頭部に受け、後遺症が残ったプレイヤーによって起こされた裁判で下されました。裁判においては、故意にバッターを狙った投球は野球の根幹を成すものであり、野球につきもののリスクであると判断されました。結果として、報復死球を被ったプレイヤーによる訴えは退けられました。つまり、ルール違反である報復死球によって、対戦相手から怪我をさせられることは仕方がないと司法が判断したと言えます。
野球に限らずスポーツは、日常生活における倫理を無視することは出来ず、その影響を多く受けます。特に野球は、世間の注目度が高いため、より日常生活の倫理が入り込む余地があります。ただ一方で、日常生活の倫理を跳ね除けてしまうほど、野球は影響力のあるスポーツであると言えます。野球に特有な倫理問題が発生するのは、野球が長きにわたって人々の興味・関心を捉えて離さない結果なのかもしれません。
スポーツ健康学科では、選手のパフォーマンス向上に関わる「運動生理学」、「バイオメカニクス」、「栄養学」、「スポーツ心理学」といった学問を学ぶことが出来ます。加えて、「スポーツ哲学」といった、スポーツにおける倫理問題を哲学の観点から考える学問も学ぶことが出来ます。人間を全人的に理解することができる「健康支援人材」の育成には、スポーツと人間を多様な側面から理解することが肝要であると言えます。
スポーツ健康学科 大峰 光博